NPS塾長、横山英樹によるブログです。


昭和は遠くなりにけり 昭和のアイドル達

 戦後は多くの芸能人を輩出してきましたが、アイドルという言葉が主流となったのは昭和40年代後半に登場した、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎といった新御三家が元祖のような記憶があります。続いて登場したのは自分と年齢がそう変わらないお姉さんのキャンデイーズにピンクレデイ。自分が中2の時にデビューした森昌子・山口百恵・桜田淳子の中3トリオには衝撃を受けました。また今や演歌の大御所の一人である石川さゆりなど同い年のアイドルも出るなど、まだ幼さの残る子供が次々に登場しました。その流れは平成になっても同じですが、当時の大人達には受け入れがたいものだったかもしれませんね。彼らは既に還暦を迎えている方がほとんどで、中には鬼籍に入られた方もいます。時の流れを感じずにはいられません。昭和がますます遠くなった感じがします。 To be continued.

昭和は遠くなりにけり 権利と義務

 小学校高学年から中学生になり、当時の学校教育や学生運動が鎮火した社会情勢の影響もあったのでしょうが、『権利と義務』に関して意見を交わす討論会的な授業や学級会をかなり経験しました。一種の流行だったのかもしれません。かなり喧々諤々の意見交換だった記憶があります。『平等』に関しても男女間で意見が割れて面白かったです。また『三無主義』という言葉も流行りました。若い世代は「無関心、無気力、無責任」だというわけです。若い世代に対する大人の見解は当時も厳しかったのです。その若い世代が還暦を迎え、「今の若い者は…」とぼやくのですから歴史は繰り返すのですねえ…。

To be continued.

 

昭和は遠くなりにけり 怖かった先生たち

 今は『体罰』など時代遅れだと喧伝する輩が多いですが、自分たちが育ってきた過去をそんな安易に否定してよいのでしょうか?『体罰』など当たり前の時代を過ごしてきたからと言うわけではありませんが、私は不必要だとは思いません。あくまで個人的な意見としておきますが…。当時の先生方は本当に怖い人が多かったですね。でも恐怖ではなく「畏怖」の念を抱く存在でもあったと考えますし、自分より上の世代ではその念はもっと強いと思います。残念ながら現在ではそのようなことは稀でしょうね。尊敬に値する人が少ないこともあるのでしょうが、あまりに教師の行動を制限しすぎています。生徒が悪いことをしても、その指導方法が「諭す」だけで完全に矯正されるわけがないのに…。昨今の大人を見ればよく分かります。「諭す」だけで皆が皆、分別をわきまえた大人になるのでしょうか?『子供は小さな大人である』ということも是非念頭に置くべきです。難しい問題ではありますが、昨今の「大人になりきれない大人」を作り出している原因の一つが、現代教育にあると考えるのは私だけでしょうか。教育現場には昭和は存在しないのでしょうね…。To be continued.

昭和は遠くなりにけり 学生運動

 安保闘争や安田講堂事件といった学生闘争が続き、あさま山荘事件を起こした連合赤軍、世界各地でテロ事件起こした日本赤軍など、当時の日本は現在のISまでいかなくとも、ある意味でテロ集団が存在する国家でした。当時私は小学校高学年でしたが、意味も分からずに「安保反対」と叫びながら行う『デモごっこ』をしたことを覚えています。私たちより5年ほど上の世代の方々は何らかの形で学生闘争を経験しています。私が通った高校でも自分が入学する3年前までは校舎にバリケードを作って立てこもり、警察に補導された先輩方もいたと教えられています。当時の日本は政治的にも経済的にも不安定な時期だったのでしょうね。若い頃は感化されやすいですから、その時代とかぶらなかったのは運がよかったのかもしれません…。戦後20年が経過しても、まだその匂いが残っていた昭和40年代でした。To be continued.

昭和は遠くなりにけり 見世物小屋

 「親の因果が子に報い…」「お代は見てからで結構だよ。さあさあ入って入って…」という『タンカ』と呼ばれる呼び込みの声が今でも耳の奥に残っています。弟達は覚えていないので昭和40年代初めくらい迄ではなっかたかと記憶していますが、お祭りに行くとこの手の『見世物小屋』がありました。私が覚えているのは「蛇女」です。一度だけ父が嫌がる自分を強引に連れて入ったのですが、怖いもの見たさもあったのかもしれません。ただ水着姿の女性が大きな蛇を素手で掴んだり、身体に撒きつかせたりしているだけなのですが、子供心には強烈な印象でした。懐かしくもあり、奇妙な思い出です。 To be continued.

昭和は遠くなりにけり 公害

 中国やインドの大都市における大気汚染や水質汚濁に関するニュースに呆れる方も少なくないでしょうが、半世紀ほど前の日本は同様な公害で溢れていましたので、レベル的には一緒だったのです。私の両親が子供時代である戦前は海でも川でもきれいだったので泳ぐことができたそうですが、私の時代は海も川も水質汚濁がひどく、水が濁り悪臭を漂わせていました。泳げるどころではありません。そういえば一昨年から幕張の海に入ることができるようになりましたが、一旦汚染されると回復には相当の年月がかかるという証拠ですね。水俣病にイタイタイ病、四日市ぜんそくや光化学スモッグ、ヘドロ状態の海など毎日公害に関するニュースが流れていたような記憶があります。18世紀後半から20世紀初頭のイギリスや北アメリカの諸都市でも同様でしたから、歴史は繰り返すのですね。人間の進歩のなさに驚いてしまいます。平成生まれの人には公害があったことは知っていても、未体験ゾーンですから実感はないのでしょうね…。 To be conntinued.

昭和は遠くなりにけり 銭湯

 私が生まれた昭和34年は高度経済成長の前半期です。うろ覚えの記憶ですが、バラック(死語ですね)の家や未舗装の道路が多く、「巨人の星」(これも古すぎる…)で登場した長屋もかなりありました。風呂がある家は少なく、私も小学校4年生までは家に風呂がなかったので銭湯に行っていました。当時の銭湯は今のようなスーパー銭湯とは程遠いもので、夜に行くとお湯に垢が結構浮いていたものです。出入口から入ったところに番台があって、そこにはオジサンかおばあさんが座っていて、お客から入場料を受け取るシステムでした。たしか大人15円で子どもが7円くらいだったと記憶しています。脱衣所には東映や日活の映画ポスターが貼ってあり、高倉健さんの任侠姿は幼い私の目にも焼き付いています。また風呂上りに珈琲牛乳やフルーツ牛乳を飲むのが何よりの楽しみでした。貧しかったのでめったに買ってもらえませんでしたが…。今はほとんど見ることのない銭湯とその上にそびえた煙突の風景は『昭和』そのものでした。 To be continued.

昭和は遠くなりにけり 序章

 今月で平成は終わりです。私は『昭和』生まれですが、平成で生きた方が若干長くなってしまいました。でも「あなたの世代は?」と聞かれると『昭和』です。随分遠い昔になりましたが…。今回より自分にとっての『昭和』とはどのような存在だったのかを綴っていきます。しばらくお付き合いください。

 私が子供の頃は「明治は遠くなりにけり」とよく言われていました。おそらく小学低学年の頃だと思いますが、最後の江戸時代生まれ(慶応)の方が亡くなったというニュースを聞いた記憶があります。それから50余年。あと10年以内に最後の明治生まれの方が亡くなるというニュースが流れることでしょうね…。男性最高年齢で113歳の野中正造さんが今年の1/20にお亡くなりました。お生まれは明治38年です。明治は43年までですから…。そういえば103歳で亡くなった祖母も明治38年生まれでした。寂しいですが現実ですね。さて昭和34年生まれの私にとっての『昭和』とは…。To be continued.

少し遅い?球春

 昨日2019年のRC野球リーグが開幕しました。今年から勝浦RCが新たに加盟して10チームによる総当たり戦が10月まで行われ優勝を目指します。あいにく昨日は相手チームの都合により試合は延期となり、初めて開幕日に試合がないという経験をしました。日程では5/11が最初の試合になります。間が空いた感じですが投球練習をしっかり行って臨む予定です。今年になり下半身を中心に鍛えた結果、制球とスピードがアップしました。今年は2位に終わった前年の雪辱を果たします。

虫の季節なのに

 暖かくなると様々な虫があちこちから湧いてきます。この時期はコバエなど小さな虫が登場しますが、暖かかったり寒かったりという不順な天候のせいか、まだ少量しか登場していません。基本的には虫は好きではありませんが、季節の風物詩であることには間違いありませんから、今年も異常気象の前兆なのかと勘ぐってしまいます。