塾長ブログ


NPS塾長、横山英樹によるブログです。


昆虫③ キリギリス

 中学生になっても嬉々として取ったのが『キリギリス』です。夏になるともう『キリギリス』の泣き声が草むらで響きます。草の下の方にいますが、寄っていくと鳴くのを止めて逃げます。そこでそっと近付き、鳴くまでじっと草むらの中で待っています。そしてそばで鳴いている場所を上から、草ごと押さえつけます。草から逃げることができずに挟まっている『キリギリス』を素手で捕まえるのです。虫かごに入れて2,3日飼いました。でも鳴き声がうるさいので最後は逃がす羽目になるのですが…。

昆虫② 殿様バッタ

 昆虫で2番目に多く取ったのが『殿様バッタ』です。初秋になると、野原や墓地などではもう数えきれないほど飛んでいました。1回でかなりの距離を飛ぶので、走って追いかけて取りますが、逃げられるときも多いので相当走らされました。子どもの小さな手にはかなり大きいので、トンボと違い1匹ずつ網から取って虫箱に入れます。その際よく噛まれたものです。結構痛くので、かまれないように腹をつかむのですが、強すぎるとバッタの黒い体液が口から出てきて、よく手に付きました。ソースみたいな匂いだったと記憶しています。翌日には死んでしまうのですが、逃がすことは少なかったです。成長とともに逃がすようになりましたが、虫とりに飽きたからかもしれません。遊びの種類が成長とともに変わっていったのでしょう。

昆虫① トンボ

 暖かな春の訪れとともに、草木だけではなく多くの生き物の活動が始まってます。私の子供の頃は外で遊ぶことが多く、『昆虫』との接点が多くありました。今は素手で触ることすらできませんが、その頃は平気で触っていました。昆虫取りで一番多く取ったのは「トンボ」です。昔は電線などにびっしり止まり、野原では数えきれないほど飛んでいました。それを網取りで捕まえるのですが、一匹一匹取るのが面倒なので、その網がトンボで一杯になるまで溜めたものです。そして今ではとんでもない話だと怒られるでしょうが、当時の男の子のなかでは捕まえた虫を殺すのが流行り、私もトンボでいっぱいになった網を水に浸けたり、自転車で踏んだり、共食いさせたり、もう残酷なことを平気でやってました。皆でそれをゲラゲラ笑いながら遊んでいた記憶があります。恥ずかしい限りですが…。

民放のワイドショーに辟易

 以前にも綴ったことがありますが、朝から夕方まで民放から流れる『ワイドショー番組』には本当に辟易します。ゲストに専門知識の欠片もないお笑い芸人やタレントを招いて、政治や経済、諸々の刑事事件等に対する拙い私見を求め、それをなぜ公の電波に流すのでしょうか。しかも解せないのは有名タレントであれば、その発言をスポーツ新聞などがネタにして記事を組んだり、ネットでも大きく取り上げるという現実に情けなくてなりません。このような幼稚な状況を甘受してはいけません。世界の笑いものになってしまいます。

閉塞感に負けない!

 感染者が一向に減少せず、自粛要請が長引くことで国民全体に閉塞感が漂っていますが、「人生塞翁が馬」です。悪いことは長く続きません。振り子の原理のごとく、必ずまた良い方向に向かって行きます。これは長い経済の歴史が証明していることです。様々な窮状の方もいらっしゃいますが、アメリカ・イタリア・スペインの現状や今後の発展途上国に感染が及んだ時の脆弱な医療体制を鑑みると、我が国は充分過ぎるくらいの環境であることを認識し、決して悲観せず自分ができることに全力を尽くすことが肝要だと考えます。閉塞感など吹っ飛ばせ! と言わせてください。

思い込み

 先日友人から酒席で質問されたことですが、唱歌の『どんぐりころころ』の歌詞は「どんぐりころころ どんぐりこ」なのか「どんぐりころころ どんぶりこ」なのか尋ねられました。私は前者と思いましたが、答えは後者でびっくりしました。ずっと前者だと思っていましたから。子供心に沁みついた『思い込み』の強さの一つだと感じました。振り返ると結構ありますね。

掃除は楽しい

 当社は一昨年より校舎美化に取り組んでいます。過去に口が酸っぱくなるほど校舎担当者に美化の重要性を説いてきましたが、情けないことに一向に進まない現実があったため、私と妻の二人で近隣校舎を掃除し、担当者に美化意識の欠如を指摘してきました。それなりの結果は出てきたので、3月からこれを全校舎に波及させることにしました。しかし、掃除をしている職員をみると美化に対する意識の高低がすぐわかります。掃除機の掛け方次第でも、かけるときは小さなゴミをひとつ残さず逃さない姿勢で取組無人は少なく、ゴミの有無などは関係ないように適当に掃除機を使用しています。徹底的にきれいにしようという意識が欠如しています。私は『掃除が楽しい』です。でもほとんどの人は掃除が嫌いなのです。自分事と考えられないのでしょうし、おそらく自分の部屋も同様なのでしょう。長年の経験から掃除と仕事のレベルは決して反比例しません。美化意識が低い人は仕事も…。

エイプリルフール

 今日は「エイプリルフール」。日本では四月馬鹿です。起源は全く不明で世界中で嘘を楽しんでいるようです。有名なメデイアでも過去に様々なジョークニュースを報道しています。BBCがビック・ベンのデジタル化を報じたこともあります。ただ最近はアメリカの大統領選挙におけるフェイクニュースが社会問題化したため、自粛傾向になっていますね。しかし新型コロナの不安につけ込んだ様々なデマがネットで流れる時代です。くれぐれも流言飛語に惑わされぬよう心がけましょう。

サブスクリプション

 最近流行のビジネスモデルの一つですがご存知でしょうか。利用者がモノを買い取るのではなく、モノの利用権を借りて利用した期間に応じて料金を払う方式です。簡単に言うと『定額制』のサービスを指します。月額プランで映画見放題をはじめとして、音楽、書籍、自動車、衣服など幅広い分野でこの方式が採用されています。初期費用が抑えられるメリットがありますが、長く使用するとトータルコストが高くつく可能性もあります。いろいろなビジネスモデルを考え付くものだと感心しますね。

青天の霹靂

 全く予想もせず、思いがけない出来事などが突然起こるさまを表す言葉ですが、仕事では何度も経験しています。自分ではなく社員や所属する組織内に関するものがほとんどです。社員の交通事故や知人の急死、はたまた社員の失踪めいた突然の退職、「立つ鳥後を濁しまくった」退職者の後始末など多岐にわたります。特に後者の場合は事後処理にかなりの手間と時間を要しますが、愚痴を言う暇に問題解決に全力をかけるタイプなので、即断即決で臨んできました。でも多大な労力が必要です。解決後は脱力感と徒労感の交錯した疲れが自分を襲います。立場上仕方のないことですが、精神的には結構きますね。仮に生まれ変わっても、二度とこのような立場になりたいとは思えません。

半沢直樹

 2013年に放映され爆発的な視聴率を残した国民的な番組ですが、私は皆が面白いと言うと逆にその番組を自ら見たくないという天の邪鬼ですので、当時は一回も見たことがありませんでした。ただ4月よりその続編が放映されるので、この休校中に空いた夜の時間でDVDで視聴してみました。なるほど、高視聴率を獲得したのが分かりました。確かに面白かったです。続編は見ようと思っています。同じキャストということですので、少々楽しみです。あれ、趣旨変えか?

正論 対大人 そして社会問題へ

 自分を変えることのできない人は社会で認められるはずもなく、結果的にその中から「引きこもり」「フリーター」となる人が多々出ています。また自分の将来に悲観して自殺に走る人も何と多いことか。それぞれに理由はあるのでしょうが、決して『正論』ではないはずです。批判を恐れずに言うと『現実逃避』です。そう綴ると「私の気持ちも分からないくせに…」「何も状況を知らないくせに」などと言われそうですが、ほとんどの場合その原因の発端の多くが自分にあることを忘れています。自分の努力不足の結果が今の状況を作り出していることを棚に上げています。これは学校や家庭教育、社会全体の躾や道徳観の欠如などに理由を求めることをできるかもしれませんが、あくまで自分自身ではないでしょうか。生後2年未満で栄養不足で亡くなる子供達の多い極貧の国や、内戦等の戦禍に見舞われて自宅を失った難民で溢れている国等では生きることで精一杯で、『現実逃避』のような心の余裕はあるはずもありません。また戦後の貧しい時代の日本も同様で「引きこもり」「フリーター」「自殺」などが生じていたでしょうか?厳しい意見で申し訳ないのですが、一種の『贅沢病』だと思います。しかし我が国の大きな『社会問題』ですから、抜本的な教育改革を期待します。この辺で『正論』はいったん幕引きとします。

正論 対大人

 子供達は大人に比べて対人関係の経験も少なく、また社会悪にそれほど染まっていないため、純粋で純真な部分が多く残っているので、『共感』に対して素直に反応してくれます。しかし大人は少々違います。性格や年齢、社会経験の多寡など様々な要因がありますが、純粋ではなく濁りがあります。その結果、『共感』に対しても疑心感や猜疑心を持って捉えたり、否定や拒否感を抱いて応じてくれない人が少なくありません。要するに素直ではないということです。自分の殻を持ち、そこから出てこないのです。これを破って相手を変えることは至難の業です。サラリーマン時代は後輩や部下、起業してからは社員を指導してきましたが、残念ながら望むような結果を出せていません。人は保守的ですからなかなか自分を変えることは容易ではないことは、自分もそうですから理解できます。しかし、現状を打破しなければならない時に、自分を変えずに転職するなど環境を変える人のなんと多いことか。他に原因を求め、自らはそのままで変えようとしない。これでは事態が好転するはずがないと思いますが…。To be continued.

正論 対子供達 その3

 自分に共感してくれる大人を持った経験が少ない子供達は、自分の理解者である大人を信用して、『正論』を受け止めてくれます。そうなれば自ら行動を変えるようになり、結果も徐々についてくるようになります。ただ子供ですから効果を持続させるために、定期的に勉強以外の部活や日頃の何気ない行動を褒めたり、勉強の話を角度を変えて伝えたりして、モチベーションの持続を図ることも大事です。子供達には大上段に『正論』をかざしても、反発されるだけで効果は薄いです。これまで数万人の子供達を指導してきた経験から個人的見解を綴らせてもらいました。ただこれが大人に対して通じるかというと…。To be continued.

正論 対子供達 その2

 勉強しなければならないという『正論』の正しさを力説しても、発展途上の子供達にとっては詮無きことなので、まずはその大変なことと向き合っている子供達に『共感』してあげます。「本当に勉強は大変だよね。やりたくないよね。先生も大嫌いで逃げたくて仕方なかったよ」「宿題や覚える事が多くて大変だよね。自分の時間もなくなっちゃうよね」「ゲームをしていてそろそろ勉強しようと思っていたら、お母さんに『いつまでゲームしているの、早く勉強しなさい』と言われて頭に来てやる気がなくなったことない?」など子供達の目線まで下りて、まず相手の理解者であることを伝えたうえで、「でも勉強は嫌だけど、やらなければ困るのは自分だよね」「成績が悪くて一番嫌な思いをするのは誰かは分かっているよね」など子供達が問題意識の核心から逃げずに、自ら取り組むようにもっていきます。そして「先生も応援するから、今より少しでもいいから努力してみようよ」「10分でいいから勉強時間を増やしてみようよ。それだけでもきっと変わるはずだよ」などそう高くないハードルを提示して、モチベーションを上げていきます。子供達の性格や成績等により、投げかける言葉は千差万別ですが、基本は『共感』から入ります。すると子供達は…。To be continued.

正論 対子供達 その1

 若くて経験の浅い頃は子供達に「絶対宿題をやってこい」「書けない単語は30回ずつ書いてこい」などと、上から目線で命令調で話していました。子供達のブーイングは全く無視です。35年以上も前のことなので、今とは時代が全く違いますが、当時子供達のためには必要だと思っていましたし、それが子供達のためになるのだという信念はありました。でも年輪を重ねてみると一方的な言い方ですね。穴があったら入りたいくらいです。どんなに正しいことでも、相手がそう感じてくれない言い方をしてしまうと、何の効果もないことに気づいていなかったのです。子供をやる気にさせるためには正論だけでは決して動きません。ゆえにどうそれを素直に感じさせるかが重要になります。勉強が大切なことは子供自身もよく理解しています。ではどのように言うべきか…。いよいよ学校が再開されるようです。新学期となりますので『正論』について個人的見解を語らせていただきます。しばしお付き合いの程を…。To be continued.

K1イベント決行に関して

 大臣や知事による自粛要請を無視して、昨日さいたまアリーナにてK1が決行されました。強制力はないにせよ、他の競技は中止か無観客で行っている現状を何だと考えているのでしょう。主催者側は万全の態勢で行い、感染者が出た場合は全力で対応すると言っていましたが、責任の取りようはあるはずもなく、あまりに無責任な言い分で、自分たちの収益を優先しただけです。国民が一丸となって対応している最中に情けない限りです。これでクラスターなどが起きたら目も当てられません。そうならないことを祈るばかりです。

初夏の陽気

 3月になりもう数回20度を超えています。大暖冬の締めくくり?のような陽気が続いています。桜は最速の開花で、成田市も5分咲きを迎えつつあります。一昨日新学期から休校延長はしないとの発表があり、新型コロナによる自粛でストレスがたまっているであろう子供達に何よりの朗報でした。花見の宴会は自粛ですが見物は自粛ではありませんから、花を愛でて暗い気分を吹き飛ばしたいですね。

妻に感謝

 今日は妻の誕生日です。日頃自分を支えてくれている妻にこの場を借りて感謝の言葉を綴ります。「亭主関白で我儘な私をいつも支えてくれてありがとうございます」 勿論妻に直接言います。最近は誕生日プレゼントも買っていないので、反省して花束とともに感謝の心を表します。『花より団子』と言われそうですが。これからもよろしくお願いします。あー、照れ臭い。

出来ない理由を見つける人

 社会人になり40年近くたちますが、自分がやりたくないため『出来ない理由を見つける人』が本当に多いと感じています。このような人は方法論などいくらでもあるのに、出来ない理由を見つけることから思考がスタートします。ゆえに論理的な思考ができないのは当然で、合理的な理由もなく感情的に「自分には無理だ」と言います。やりたくないからできないと言えばいいのに、かくかく云々と屁理屈を並べて出来ないというのです。最近は呆れて腹も立ちませんが、「だから君はいつまでたっても…なんだ」と思ってしまいます。このような人は社会的立場や地位に信用、また収入にほぼ比例しています。