立行司 後編

 立行司の歴史は江戸時代までさかのぼります。江戸相撲の行司家として最後まで残った木村家、式守家の当主が木村庄之助、式守伊之助を名乗っていて、この2名跡の襲名者が立行司に遇されています。1910年より庄之助が主席、伊之助が次席と明文化されています。またこの下に三役各行司がいて、現在3代木村容堂、15代木村庄太郎、木村昇之助、木村寿之助と4人います。立行司は定年制のため、どちらかが空位の期間はあります。今回は2015年3月より空位であった木村庄之助に、41代式守伊之助が昇格したものです。庄之助は結びの一番のみで、伊之助は結びの二番を裁きます。今場所の14日目に結びの照ノ富士戦で豊昇龍が負傷休場し不戦敗となり、結びの一番がなくなったことから、霧島・琴の若戦を裁いたのは三役各行事の木村容堂でした。異例中の異例のことです。