小学校5年から6年の初めまでと、高校1年後半から浪人時代まで住んだのが札幌市のベッドタウンである江別市です。前者は当時建てたばかりの4階建てのアパートでした。子供心に覚えているのは生まれて初めて風呂がある家に住んだことと、汲み取り式ではないトイレがあったことです。家族全員大喜びでした。後者は同地区にある別の官舎に住みましたが、半年後に父が一戸建てを同市内に購入したので、そこに移りました。その家は18年前に母が北海道を出て、私のもとに来た際に売却しましたが、現在も残っています。先月確認して写真を撮ってきました。築48年の建物になりますが、私は3年も住まずに上京したので、思い入れは少ないです。でも両親や弟たちにとっては、かけがえのない思い出が詰まった家なのでしょうね。
先月の続きです。1902年に日本最低気温マイナス40.2度を記録した旭川市には1年生から4年生まで住んでました。いろいろな記憶が残っていて、先月自分が通った小学校と住んでいた辺りを確認してきました。小学校は建替えられており、自分が住んでいた官舎もなくなっていたため、自分の記憶と合致するところはそう多くはなかったのですが、それでも自衛隊の駐屯地のすぐそばであったことなど、記憶と合っていたことは嬉しく感じました。なぜかわかりませんが、小学校校歌は今でも空で歌えます。記憶は不思議なものですね。
理由はよくわかりませんが、歴史的背景があるのでしょう。我が国は先進国の中で、カード払いより「現金払い」の方が多い稀有の国の一つです。ここ数年でカード決済やQRコード決済の割合がかなり増えたとはいえ、米国や中国、韓国などに比べると、まだまだと言わざるを得ません。中国は個人的に訪問していた10年ほど前はカードの種類が限られ、ほとんどの店が現金決済だったのに、たった数年でスマフォでほぼ決済できるようになっているのは本当に驚きです。中国には多くの分野で後塵を排していますね。誠に遺憾です。
書店を中心に2024年版の手帳が売り出されていますので、先日早速新しい手帳を購入しました。若いころは「手帳に書かないと覚えられないのは情けない」と考え、自分には不要なものだと過信していましたが、ある時忙しさのあまりスケジュールを覚えきず、大事な約束をすっぽかしてしまうミスをしたことで、考えを改めて手帳を購入するようになりました。最初は大き目なものでしたが、徐々にコンパクトなものを使用し始め、今は背広の内ポケットに入るサイズを使用しています。毎日何度も手帳を見てスケジュールを確認していますが、少々依存しすぎる弊害も出ており、紛失したらもう大変なことになりそうです。
大相撲秋場所は星のつぶし合いの結果、優勝決定戦までもつれ込み11勝4敗でカド番の大関貴景勝が優勝しました。今場所は良い言い方をすれば若手の台頭ですが、悪い言い方をすれば本命不在、とびぬけた実力者不在と言えるでしょう。新大関豊昇龍は千秋楽でようやく勝ち越しの8勝7敗、カド番の霧島は9勝6敗の成績。11勝での幕内優勝は過去数回しかない低レベルで、相撲ファンには少々がっかりでしょう。九州場所では上位陣には一層の奮起を期待します。
故稲盛和夫氏の盛和塾にお世話になり、「利他」という言葉を初めて聞いたとき、今までの自利を大いに恥じた記憶があります。現在中国でも師の教えは多くの経営者に広がっているようですが、我が国ではまだまだ自利が幅を利かせているようでとても残念です。二宮尊徳翁の「たらいの例話」にもあるように、水を自分に寄せようとするのではなく、相手に押すことで自然と自分に返ってくるのです。学生の頃から金銭面では自活し、卒業後は借金の返済等で苦労してきましたが、親を大切にし、自利の心を脱却して、利他的な行動をしてきたことで、今の自分があるのだと確信しています。
今日は秋分の日です。まだまだ暑い日が続いていますが、田畑や庭先から虫の音が聞こえ、秋を感じるようにもなりました。わが国では奈良時代から虫の音をめでる文化が存在していたようで、万葉集などに虫を詠んだ歌が残っています。平安時代には貴族が、江戸時代になると庶民も虫の音を楽しむようになり、これを「虫聞き」と呼びました。江戸の町では「虫売り」が商売になったというのですから、その人気がわかります。「あれ鈴虫がないている…」と秋の夜長を楽しむのも一興かもしれません。
私の好きな四字熟語の一つです。漢字自体も好きですが意味が好きです。1895年の三国干渉後に対ロシアへの国民の怒りを煽るために盛んに使われた言葉でもあります。元々は中国の故事成語で呉の夫差と越の勾践の争いの際に、悔しさを忘れぬために生まれたものだそうです。この言葉を初めて教わったのは高校の古典の授業だったと記憶しています。その話自体もそうですが、「痛い薪の上に寝たり、苦い膽を嘗めたり」して屈辱を忘れないようにするという内容に衝撃を受け、その後弱気になりそうな自分をこの言葉を頭に思い浮かべて叱咤したものです。今でも時々使います。
コメの収穫時期になりました。店頭にも新米が並んでいます。品種改良が進み、昔より格段に味が良くなり、炊き立ては本当においしいです。炊飯器の改良も寄与していますが、甘みがあり、程よい粘り気と噛み応えは和食好きの私には応えられない味です。海苔や納豆、梅干しとの相性も抜群で、毎朝の食事を楽しんでいます。
今年に入りアメリカのニューヨークで、動いている地下鉄車両に乗る「地下鉄サーフィン」が問題になっています。SNSなどを通してその動画や写真が拡散していますが、大変な危険行為で事故も相次ぎ、10代の若者を中心に5人が亡くなっています。NY市の地下鉄は高架鉄道となっている部分も多く、以前から車両の上に乗る人はいたそうですが、この数件で急増しています。NY市長のアダム氏は「地下鉄はサーフィンを殺す(Subway kills surfin)」というキャンペーンを展開して、この動きを抑えると発表しています。残念ながら、「若さ=馬鹿さ」はどこの国でも同じようです。