塾長ブログ


NPS塾長、横山英樹によるブログです。


オレンジ果汁不足

 オレンジジュースの値上げや販売休止をする企業が増えています。主な原産国のブラジルで起きた不作の影響で、世界的に供給が不足しているためです。我が国はオレンジ果汁のほぼ全量を輸入に頼り、その5割超をブラジル産が占めていますが、天候不順や病害で不作となっています。加えて今月に入り、南部の記録的水害による影響も懸念されています。ヤクルト、雪印は販売休止、森永乳業も原料がなくなり次第、販売休止と発表しています。セブンやモスフードは値上げで対応すると発表していますが、この状況は数年単位で続くという見方もあるそうです。

父方のルーツ 後編

 曾祖父榮吉氏は北海道に入植したのち、年代は読み取れませんでしたが、北海道旭川村(当時)へ転籍、明治32年に北海道有珠郡伊達町(当時) に戸籍を移しています。そして昭和14年に宮城県角田町に戻っています。祖父の横山正はこの地で生まれていました。手書きの戸籍を読み取るのに結構時間がかかりましたが、いろいろなことが書いてありました。兄の仁平氏は慶応2年生まれ、曾祖父の両親は父が半三郎(出生年月日記載なし)、母がリン(天保4年生まれ明治37年死去)とありました。戸籍は明治時代からになりますので、役所で遡れるのはここまでです。本当にいろいろなことが分かりました。ちなみに昔の戸籍には孫の欄まで載っていて、最後の方に父の名前を発見した際にはとても感動しました。まさにファミリー・ヒストリーでした。

父方のルーツ 前編

 GW休暇を利用して東北地方を旅したことは、先週綴りましたが、この旅の目的の一つは以前綴った自分のルーツを調べるためです。昨年北海道の網走市役所で祖父の戸籍を取った際に曾祖父が宮城県角田町(当時)から転籍したとありましたので、今回は曾祖父の戸籍を角田市に取りに行ったのです。すると当時の人には珍しく、戸籍の本籍を何度か移動していました。曾祖父は三男でしたが、おそらく跡を継いだ長男の名前はなく、次男の兄、横山仁平が戸主でした。当時は戸籍の字が手書きで読みづらく、解読に苦労したこともあり少し想像も入りますが、曾祖父は明治18年5月に兄より家督を相続、6月に北海道早来村(当時)に居住とありましたので、おそらく屯田兵のような形で行ったのだと思われます。そしその後は…。To be continued.

 

進まぬ議論「皇位継承」

 皇位継承の安定化に向けた議論が与野党協議に舞台を移しましたが、喫緊の課題でありながら危機感に薄い感じがします。各党の意見を集約しるのは並大抵なことではないと予想されます。個人的な見解ですが、強いリーダーシップがない限り20年前のように先延ばしになりそうだと感じています。「すべき論」ばかりで一向に進まないのが、政治論議ですので今回も期待できそうにありません。遺憾ですが…。

飲酒の変化

 昨年ほから酒量が落ちたと感じています。日本酒でもウイスキーでも飲む量がグッと少なくなりました。またお酒を飲んでいる時間もかなり短くなっています。以前は3時間以上全く平気でしたが、今は2時間で眠くなります。若いころの「覚醒剤」が、年齢とともに「睡眠薬」と化しています。これも老化の一種なのか、それとも身体が受け付けないのは病気の赤信号なのか、自分では判断することはできませんが、無茶な飲み方は卒業できたようです。健康にとっては良いことですから。

冨沢酒造店

 伝統の地酒を300年間作り続けてきた「富沢酒造店」は、福島県双葉町にあり、東北大震災の後に帰還困難地域に指定されたため、再建の地を求めて日本各地を回りましたが、日本酒の複雑な規制の壁もあり、その地を見つけることができませんでした。そんな折物産展を目的に訪れたアメリカのシアトルで活路を見出したのです。この前例のない異国での再出発は想定以上の苦労がありましたが、13年の歳月をかけてシアトル産の日本酒ができたのです。現在アメリカでの日本酒人気もあり、多くの地元客が訪れています。大胆な活路と今後の成功を祈ります。

表現の自由と濫用

 先般の衆議院議員補欠選挙で某党による選挙妨害まがいの行為が、某党は表現の自由に基づく行為だとの件に対し、13日に警視庁による家宅捜査が行われました。異例なことですが、悪質性が高いと判断したのでしょう。個人的な意見ですが、表現の自由だけではなく他の人権も万能なものと、はき違えている人が少なくないと感じます。あくまで公共の福祉に反しない限り認められるものであり、他人に迷惑をかけないことが大前提です。某党の行為に不快感を抱いた方は少なくないでしょう。公衆電話ボックスの上に座って大声を出す。傍若無人な行動と感じないその姿には、呆れてしまいました。非常に遺憾です…。

旅で学んだ歴史① 庄内藩と西郷隆盛 後編

 征韓論で敗れ、下野して薩摩に戻った西郷隆盛を多くの庄内藩士が訪ね、彼の教えをうけ、西郷隆盛の素晴らしい人格に触れて感銘を受けた庄内藩の若い人たちが筆を執って彼の教えをまとめたものが「西郷南洲遺訓」だとありました。もうびっくりでした。薩摩人が残したものとばかり思っていましたので、自分の浅薄を恥じるばかりでした。その後若い藩士たちは山形に戻らずに西南戦争に参加して殉じていったとありました。私が尊敬してやまない故稲盛和夫氏が西郷隆盛の功績と「無私の心」を広く説いていたことに通じました。脳みそのしわが相当増えた旅になりました。

旅で学んだ歴史① 庄内藩と西郷隆盛 前編

 GWの東北旅行では歴史資料館や城も見学してきました。その際に初めて知ったことが多く、個人的にはとても有意義でしたのでその一部を綴ります。山形県の鶴岡市で戊辰戦争で旧幕府軍として会津藩とともに最後まで戦った、庄内藩の資料館(致道館)を訪ねました。まずこの藩の歴史で徳川四天王の酒井忠次の孫(三代目)が藩祖であることを初めて知ってとても驚きました。同じ四天王の本田忠勝が千葉県大多喜城の藩祖であることを知って以来の感動です。さらに驚いたのは、戊辰戦争で戦い最終的には政府軍に降参したのですが、その相手方の将軍は西郷隆盛でした。彼は立派に戦った庄内藩を降参した相手とは思えぬほど優遇したため、戦後、元藩主の酒井氏や複数の藩士が西郷隆盛のもとを訪ね、親交を深めたという事実を初めて知りました。しかも…。 To be continued.

 

太陽フレア

 これは太陽で不定期に発生する爆発的な増光現象で、小規模なものは1日3回ほど、地球に影響を与えるほど大規模なものは数年に1回程度発生していますが、今回は観測史上初の「3日で7回」発生し、世界各地で低緯度オーロラが観測されたほか、アメリカでは電力系統」やGPSに異常が生じています。低緯度オーロラは1770年9月に日本各地で観測されたという記録が、絵図面とともに残っています。観測史上最大と言われる1989年の巨大磁気嵐と同等かそれ以上の規模であったと推定されています。当時の人々の驚きは想像を絶するものであったでしょうね。

母の日

 独身の頃から、「母の日」「父の日」と両親の誕生日には必ず電話や贈り物をしていました。どうしてこのような習慣がついたのか覚えていませんが、両親の教育のせいだと感じています。父が30年前に亡くなり、6年前に母も施設に入り、いま直接贈り物を渡せるのは、妻の母だけになりました。施設の母には誕生日と母の日には花束を、休みが合えば直接花を持参するように努めていますが、できないときも多く、その場合には届けてもらいます。今回も花束を送ったところ、昨日施設から花束が届いたと電話が入り、母と話をさせてくれました。電話で話をしたのは入所6年で初めてのことです。たまたま倫理法人会の会議中だったので、3分ほどしか話せませんでしたが、自分にとっては嬉しいサプライズでした。

閉鎖的な日本⑤

 5回目は「在留外国人の権利や彼らに対する保障」です。以前「よそ者扱い」に関して綴りましたが、外国人に対しては法的にもかなりの差別が見られます。今年1月に千葉県内のガーナ人が国内に長く居住しているにもかかわらず、永住資格がないと在留資格では外国人は生活保護の対象にならないとする千葉地裁の判決を不服として高裁に控訴しました。個人的には生きる権利の問題であり、そこに差別を設けるのはどうかと思います。四角四面の解釈も我が国の閉鎖的なところですが、原告は慢性的な腎不全を患い、就業自体が難しく生活困難である現状を鑑みない点が至極残念です。以前に行われていた外国人指紋押捺制度を思い出しました。

車内のコロコロ

 綺麗好きの妻は車内のマットが少しでも汚れると、コロコロを使って綺麗にしています。マットだけではなく、トランク内も同様です。初めはよくそんな面倒なことをするなあと思っていたのですが、最近はその癖が私にもうつったようで、乗り降りするたびにコロコロを使って綺麗にしています。車内にはコロコロ、濡れテイッシュ、テイッシュなどがしっかりと置かれていて、汚れに対してすぐに対応できるようになってます。やはり妻は潔癖症です。でも車内は清潔に保たれていますので感謝しなければいけませんね。

海が見えない

 先週父のルーツを求めた東北の旅を綴りましたが、旅のもう一つの目的は東北大震災の復興状況を自分の目で見るためでした。福島県の海岸線は時間の関係で走破できませんでしたが、宮城県の石巻から岩手県の宮古までの海岸線を走りました。津波の到達点があちこちに明示されていたり、震災の記憶を残すための凄惨な遺構(大川小学校など)も見てきました。その際感じたのは、津波が押し寄せた海岸線に巨大なコンクリートの壁(防波堤?)が立っていました。高い物は何と10数メートル以上でした。押し寄せた津波以上の高さの防波堤なのでしょうが、当然「海が見えない」のです。正直ここまでやるのかという印象を受けました。昔から住んでいる方々は海が見えない風景に寂しさを感じていると思います。

消えゆく路線バス

 慢性的な運転手不足と4月より運転手の労働時間の規制が強化されたこともあり、路線の維持が厳しくなり、バスの減便や廃止が全国で相次いでいます。帝国データバンクが全国のバス会社127社に行った調査によると、2023年中に路線の減便や廃止を実施したのは98社で、77%に上っています。日本バス協会によると21年度のバス運転手は、10年前より約11000人少ない約11万6000人で、現状の路線網を維持するためには30年度に3万6000人が不足すると試算しています。減便や廃止の流れはまだまだ続きそうです。

貧乏セット

 不景気が長引く中国では、かつての高級志向からコスパ重視になったようで、北京の中心部では食べ放題で30元(約650円)程度のレストランに行列ができ、「貧乏セット」を呼ばれる格安メニューが人気を博しています。不動産不況が原因で景気回復の兆しは見えず、かつての我が国のようにデフレ不況に陥りかねない状況です。ただ私が訪中していた10年以上前は5元で十分食事ができたのですから、短期間で大きく発展した国であることは間違いありません。以前は「アメリカがくしゃみをすると世界が風邪をひく」と言われましたが、中国の不況も大なり小なり世界経済への影響は避けられないと感じます。

旅の効用

 私の趣味の一つが旅です。思わぬ発見と様々な刺激を得ることが多いからです。幼かった子供たちとの旅は例外ですが、アジア各地への旅では我が国との経済格差や環境の違いに唖然としました。アメリカなど先進国への旅では英語の必要性と習慣の違いを痛感しました。4年前にアフリカを訪問した際は、あまりの格差に愕然とし、支援の必要性とぬるま湯に浸っている我が国の危機感を感じました。これらの気づきは人生に大いに役立っています。

いらかの波

 今日は端午の節句ですね。子供の頃はあちこちで鯉のぼりが空を泳ぎ、まさに「いらかの波」でした。空き地が多かったからでしょう。祖母から買ってもらった鯉のぼりを親父が家の近くの空き地に棒杭を打ち込み、てっぺんに風車をつけて、5枚泳がせてくれました。両親と三人兄弟分なのでしょう。その記憶は今でも鮮明に残っています。しかし都会ではその風物詩である鯉のぼりを見かけること自体少なくなっています。かくいう自分は親父のように息子のために鯉のぼりを泳がせたことはなかったので、何も言う資格はありませんが…。

香港の現状

 先々月香港で国家機密の搾取などを取り締まる新たな条例が施行されました。根強い反対で20年以上導入が見送られてきたにもかかわらず、今回は抗議の動きは全く見られませんでした。反体制活動を禁じた国家安全維持法の効果もあったのでしょうが、10年ほど前の抗議デモで人があふれていた状況とはあまりの違いです。抵抗なき香港の姿は守るべき自由が、既に中国政府によって根こそぎ取り上げられた証拠なのかもしれません。「デモの都」から「沈黙の街」へと変遷したことで、『東洋の真珠』と言われた姿をもう見ることはないのでしょうか…。

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新しいパソコン

 先月新しいパソコンを購入しました。今まで家と会社でそれぞれ1台ずつ使用していましたが、前者はウィンドウズ10で保証も切れており、最低限度しか利用していません。また後者は格安なもので機能的に使いづらいという問題がありました。今回は主唱されたこともあって購入したのですが、性能も高く使いやすいので、買ってよかったと思っています。ただ高い性能のパソコンを使いきる技量に乏しい自分には、身分不相応な商品だと自覚しています。使いこなせるほどの技量を磨けばよいのですが、年齢を言い訳にする自分がいて、情けないですが、なかなか難しい現実があります。