好き嫌い

食べ物の好き嫌い

食べ物に好き嫌いのある子供は多い。大人になれば、健康のためとか、食事を提供してくれた相手の気持ちを考えて、好みの味ではなくても食べてしまえるようになってくるが。

 

昨年教えていた中学生の女子生徒、他の先生や生徒達と回転寿司が話題になったとき、「私、魚は食べられません。回転寿司で食べるのは玉子だけです」と。魚が苦手だという人はけっこういるから、それだけでは驚きはしなかったが、話題が他の食べ物に移った時、彼女は「フルーツも全部ダメです」と発言した。みかん・りんご・バナナ・イチゴ・ぶどう、みんなダメなんだそうである。これにはちょっと驚いた。学校の給食どうしているんだろう。

 

かく言う自分も中学生の頃までかなり好き嫌いがあった。まず、ねぎ類。火がしっかり通ってとろんとなるくらいに調理されていると大丈夫だったが、生ではとても食えなかった。次に、豚の脂身と鳥の皮の部分。あの歯ごたえの無さというか、ぶにょとした食感がだめだった。今でもこのんでは食べないが。

 

好き嫌いが無くなる

しかし、中学卒業して高校生になる頃、食べ物の好き嫌いがほとんど無くなり、材料的に食べられないというものはなくなった。

 

当時、こんなことを考えていた。「自分にとっての幸せってなんだろう」と。「幸福論」などという本を読んだり、あれこれ考えたりしたあげく、こう考えるようにすればいいんだと思ったことがある。

 

自分が面白くないと感じたことだって、それを一生研究しているような人がいる。その人たちにとってはそれが面白いことだからだろう。同じ人類、人にそんなに違いがあるはずがない。なら、他人が楽しめられることであれば、自分だって楽しめるはずだ。これからは、目の前のことを好き・嫌いとか、面白い・面白くないで区別していくのではなく、どう楽しめるかを考えるようにしようと。

 

で、最初に現れた効果が、食べ物の好き嫌いがなくなったという話。もうひとつ、人の好き嫌いもほとんどなくなったかな。

 

やまだセンセ