清少納言も好きだったプレアデス星団。
枕草子には、
「星はすばる。彦星、夕筒。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて」
↓
「星といえば、すばる。そして、彦星(アルタイル)。宵の明星(金星)もいい。流れ星もそれなりに趣きがあって美しい。でも尾(しっぽ)がなければもっといいのに・・・」
文章は流石に美しく、たったそれだけの表現で、現代ではなく雅な平安時代から宙に思いを馳せた情景が浮かんでくる。しかし、どうしても気になる。 解せない・・・
「流れ星もいいけど、尻尾がなければもっといいのに・・・」
ハレー彗星
尻尾があるから他の星とは違い一種独特で綺麗なのでは? いろいろと調べているうちに分ってきた。
どうやら、主に二つの説があるようである。
「よばひ星」は流れ星のことを表している。やはり、当時もあったとされる「夜這い」の風習である。
(イキナリ ソレ・・・情緒もへったくれも、身も蓋もない?)
千年の時を超えて現代、「女性の品格」がベストセラーとなっている。その中で、「女のたしなみ」のひとつに「古典を読む趣味を持つ」というのがある。
では、大和撫子を目指す麗しき乙女の為にもイキナリではなく、少し上品に古典的に・・・。
【よば・う(よばふ)】
「大辞林より」
[1] 何度も呼ぶ。呼びつづける。
・ なくなく―・ひ給ふ事千度ばかり申し給ふ〔出典: 竹取〕
[2] 男が女に言いよる。求婚する。
・ 右大将は、常陸の守のむすめをなむ―・ふなる〔出典: 源氏(東屋)〕
「大辞泉より」
1 呼びつづける。何回も呼ぶ。
・ 「『行徳!』と―・って入って来て勝手口へ荷をおろす出入の魚屋の声も」〈藤村・桜の実の熟する時〉
2 (「夜這う」「婚う」とも書く)言い寄る。求婚する。また、女の所へ忍んで通う。
・ 「女のえ得まじかりけるを年を経て―・ひわたりけるを」〈伊勢・六〉
「よばひ星」は、「呼ばう・ふ」を由来としてることが分かります。また、流れ星は恋慕う結果、魂だけが抜け出して好きな人のところへ会いに行く姿にも喩えられていた。
雅に煌びやか見える平安時代。だが、医学や科学が発達していないこの頃、病をはじめ諸々の災難は生霊・怨霊の仕業とされる風潮にあった。
一人の男をめぐって多くの女がゆれた「源氏物語」に於いても、生霊・怨霊の場面は多い。賀茂の祭の車争いが発端となり、光源氏の正妻・葵上に嫉妬の情念が取り憑いた六条御息所の怨霊をはじめ、もののけに取り憑かれた夕顔、等々。それらからも分かります。
そして、流星は人魂と同一視されていたことも分かっています。洋の東西を問わず、日食や月食に対して怖れたように流星にも畏怖の念があったのでしょう。
よって、「尾だに なからましかば、まいて・・・」
「尻尾なんか無ければ良いのに・・・」と言ったのは、不吉な人魂や凶兆を連想したからかも知れません。
ルーリン彗星
ちなみに、尾があることから「よばひ星」は流星ではなく彗星ではなかったのか、と云われている。確かに流れ星には尾は無いが、彗星とは別に、当時の大流星には「色白く尾短し」と流星痕があった記録が残っている。
さて、最後に「夜這い」の説。
先ほどからの、恋慕のあまり魂だけが抜け出して好きな人に会いに行く喩え。
「尾だに なからましかば、まいて・・・」
「そんなに煌びやかに尾を残して流れていたら、お顔が差しますわよ♪」
夜這いの風習は昔から西日本に多かったそうです。ちなみに今でも、関西のある地域にはその風習が残っていると云う。
「尾だに なからましかば、まいて・・・」
もちろん・・・話に尾ひれは付けていない。
「星といえば、すばる(プレアデス星団)。
そして彦星(ワシ座のアルタイル)。
よいの明星(金星)もいい。
流れ星もそれなりに趣きがあって美しい。
でも尾(しっぽ)がなければもっといいのに」
と書き残しています。
すばると言う名前は「統べる(すべる、すばる)」からだといわれています。中国では「昴宿」と書きます。ですから、「すばる」には漢字の「昴」が当てられています。
大山