言論の自由

 『言論の自由』という言葉は、自分が中一の時に同級生たちが使っていたことで初めて知りました。当時はあまりその意味を知りもしないのに、反抗期だったこともあり母親に誤った意味で使っていたことを覚えています。また大学は法学部だったこともあり憲法ゼミで、このことについて意見を交わしあったこともありますが、今振りかえると社会経験がほとんどないのですから、若気の至り的な浅薄な討論会だったような気もしています。5年ほど前にある方が講演でこの国には『言論の自由』がないと述べていました。趣旨は「日本には平和を守るために軍隊が必要だ」と言うと「右翼だ」「間違っている」と悪者呼ばわりしてつぶそうとする。『言論の自由』とはあらゆる事柄について是非も含めて種々な意見の存在を認めることであるはずだ。軍隊にしても賛成と反対の双方の意見があってしかるべきだ。いずれにしても存在自体を否定するのは『言論の自由』から逸脱している」というものでした。なるほどと目から鱗が落ちました。どんな事由であっても見解の相違は存在します。自分の意見と異なるからと言って、その存在まで否定して押し込めてしまうことは『言論の自由』の侵害だと悟った瞬間でした。それからは自分の意見と異なっていても、否定的な言動を抑えられるようになりましたし、その存在を認めることによって新たな側面が見えてくるようになりました。自らを成長させる手立ての一つとして、機会があれば積極的に色々な人の話を聞くべきですね。