43年前 その三

 三日続きとなり恐縮ですが、もう少しお付き合いください。救急車で運ばれた父は医師より悪性の直腸癌と診断され、余命半年と言われたそうです。当時私はそのことを教えられなかったので、何も知らずに新たな環境で勉強に取り組みましたが、田舎とは違う都会の学校のレベルの高さにショックを受けました。苫小牧では学年一桁だったのに、転向した学校ではクラスで5番に入れるかどうかだったのですから。ただ自分の目標があったので、入試までの半年間テレビもほとんど見ることなく勉強しました。その結果何とか志望校に合格できました。一方父親は手術後の結果が良好で、半年後には奇跡的に仕事に復帰できるほど回復したのです。私は高校入学後は叔母さんの家から離れ、学校の近くの3畳もない小さな部屋に下宿してそこから高校に通いました。当時は皆そうだったと思いますが台所とトイレは共同でした。もちろん風呂はないので銭湯を利用しましたが、お金があまりないので毎日行くことはできませんでした。また食事は朝と夕食は下宿のおばさんが作ってくれましたが、育ち盛りの私には質量とも少なくて辛い食生活でした。昼食は格安の学校の食堂で済ませ、休みは二食で過ごしたものです。洗濯は石鹸と洗濯板を使って自分で手洗いで行いました。こうして私の一人暮らしと高校生活がスタートしました。今から42年前のことでまだ15歳でした。今思い返すと15歳の少年がよくそんな決断をしたものだと回顧するのと同時に、自分の原点がそこからスタートしたのだという想いがあります。その後の私と父親の話はまたの機会に綴ります。