亡き父を偲ぶ その5

 高3から1年間以上父は入退院を繰り返し、自宅療養もしていました。9月だったと記憶していますが、寝ている父の所に行き、土下座をして「どうか大学に行かせてください。最初の学費だけ出してくれれば、奨学資金をもらい、アルバイトをして生活費は何とかするから」と頼み込みました。父は8人兄弟の7番目で一人だけ大学に進んだ人でした。そのせいもあったのでしょう。私の望みを聞き入れてくれたのです。父がこのとき自分の申し出を断っていたら、恐らく父と同じ警察官の道を進み、道内の所轄の警察署長にでもなって、来年定年を迎えたことと思います。今の自分があるのは全て父親のおかげだと感じています。大学に進んだ後は、約束通りアルバイトの毎日で遊んだ記憶があまりありません。時給の高さにつられてたまたま就いた塾講師が自分の天職だと気付き今日に至っています。在学中も、卒業後も、また結婚後も父に対して感謝の念を持っていましたので、記念日の電話は欠かさず行いましたし、信州を巡って北陸まで一緒に旅行したこともあります。しかし父はこの間仕事には一時的には復帰するものの、腸の癒着手術などで何度も入退院を繰り返していました。そして定年前の58歳で退職しました。母との残り少ない人生をゆっくりと過ごそうとしたのではないかと思います。私がちょうど結婚して長女が生まれたばかりの頃です。 To be continued.