我が故郷 北海道 その3

 皆さんは日本最低気温は旭川だということを知っていますか?1902年1月25日のことで、ちょうどこの日は青森県八甲田山で対ロシアの軍事教練を行っていた青森歩兵第5連隊210名中199人が凍死した日でもあり、新田次郎氏の『八甲田山死の彷徨』で映画化されています。ちなみにマイナス41度です。今は地球温暖化の影響でこれほど寒くはならないですが、私の子供の頃は寒かったです。朝6時の気温がマイナス19.5度以下なら学校は3時間目から、マイナス24度以下なら休みでしたが、毎年必ず2,3日は休みになりました。部屋もストーブがない廊下や階段は冷凍庫以下の気温なので、ビール瓶を置くと凍ってしまい割れるので置けません。蜜柑もカチンカチンになってしまいます。寝具も布団を何枚もかけないと寒くて眠れません。子供には重いのですが仕方ありません。このころの癖なのか今も冬は重たいくらいの布団をかけると落ち着きます。またよく霜焼けになりました。クラスの過半数は霜焼けで足の指が痒くて授業中ガリガリ掻いたり、あまりに痒いので机の角に押しつけて痛みで痒さを紛らせたりしていました。また雪の量も半端なく、毎朝ブルトーザーが5時頃にけたたましい音を立てて家の前の道路の雪を押しのけていきます。道路の雪は除雪されてもその雪は溶けるわけではなく、我々の住宅の方に押し寄せてくるため、それらの雪を別に離れたところまで運ばなければなりません。このため6時には父親に起こされ、雪かきの手伝いをさせられます。この雪の重いこと。早朝から汗だくになって雪かきをするのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。弟たちは小さいので役に立たず…。これが結構トラウマとなって北海道に戻るという選択肢はなくなりました。11月後半から根雪となりGW明けにようやく溶ける。本当に長く厳しい冬です。冷帯気候でその点では日本ではありません。To be continued.