前回最適な世襲となった「徳川秀忠」とは異なり、世襲に失敗し、滅亡した原因を作った「武田勝頼」を取り上げます。彼は信玄の四男として生まれました。信玄には嫡男の義信がいましたし、諏訪家の側室が生んだ弟の勝頼はいったん家臣の列に降りました。とこらが義信は信玄と争い自殺したため、勝頼が息子の信勝が成人するまでの後継者となったのです。彼は本来の後継者ではなかったという引け目があったのでしょう。信玄が落とせなかった城をわざわざ落としに行ったり、城を築くなど父とは異なる行動で自分を誇示したため、家臣は離反していきました。自分は単にリリーフであり、信勝の時代に盤石な体制がとれるよう腐心すべきでしたが、彼にはそれができず、織田信長に滅ぼされてしまいます。世襲が大失敗した好例だと思います。